【特集1】編集後記:個性とは”関係性”であり、多様性とは”多さ”と”遅さ”である

anow編集部


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今回の特集「生活世界の見つけ方〜多様性の中の個性を再考する〜」では、現代の様々なシチュエーションにおいて広く志向されている”多様性に溢れた社会”を一つのテーマとして設定し、多様性の構成要素である”個性”について、深く考え直す機会を生み出そうという趣旨のもと企画しました。

日々のニュースやSNS等で発信されている多様性や個性に関する意見を目にする中で、「マイノリティが社会に認められれば、多様性のある社会と言えるのか?」「女性の管理職が増えたら、それは多様性を実現したと言えるのか?」「自分らしく生きるという主旨のもと、特定の人たちがロールモデルとなっている状況は、果たして自分らしさを生み出しているのか?」といった、純粋な疑問が編集部の中で生まれていたというのが、この特集の企画に至ったきっかけでした。

多様性や個性・自分らしさといったものが、多くの現代人に求められている空気感がありながらも、それらについて考えた時に「では、多様性のある社会とはなんなのか?」という根本について、誰も答えられないのではないか?

そうであれば、私たちはあまりにも不確かなものを確かなものとして考えてしまっているという、ある種の社会幻想の共有をしているだけなのではないか?

そのような問いが深まる中で、とりわけその根源である「個性」というものについて深く考えてみることを今回の特集では目指しました。

SQの考えから見えた個性の姿とは?

今回インタビューさせていただいたSocial Quantum(以下、SQ)たちは、宗教から教育、人材など人々の学びや成長、生き方に関わる領域の方々でした。

日々、多くの人と関わり、そのあり方について深く考える機会がある方々だからこそ見えてくる個性の考え方があるのではないか。そのような思いでインタビューを重ねる中、SQたちの個性の捉え方にいくつかの共通点があることに気づきました。

まず一つ目の共通点は、「個性を固定されたものとして捉えない」という考え方です。

SQらの思考において、個性というものは「他者との関わりによって現れるもの」や「社会のために動くことで見えてくる自分の特徴」といった、自分以外の何かとの関係性の中で生まれる、もしくは気づくものとして捉えられています。

個性というとどうしても、自分の身体や経験に根ざしたオリジナルな特性というイメージを持ってしまうのですが、仏教では「確固たる唯一の自分らしさは存在しない」という結論になるんじゃないかと僕は思ってます。
仏教では「諸法無我」といって、この世のすべてのものは互いに影響を与え合い、支え合って存在しているのだと説かれます。それは「僕たち助け合って生きていこうね」といった道徳論を越えて、この世には個として独立した連続性のある存在はなく、ただ「関係性のみがある」という存在のあり方を哲学的に表すものです。
〜〜(中略)〜〜
だからこそ、自分らしさは、自分自身だけがもっているのではなく、他者や自分の身の回りにある環anowe境との間に現れる共有物であると考えればいいのだと私は思います。
自分らしさとは「固定」のものではなく、誰か何かによって引き出されるものであり、瞬間的であり局所的なものだと仏教的には言えるかもしれません。

【前編】現代僧侶 稲田ズイキが考える「無限の個性」との出会い方

一人ひとりの人間は自分だけで生きているのではなく、社会という大きな「全体」の一部として生きていて、生かされているからです。社会があるから私たちは生きることができており、だからこそ個人が社会に貢献することでより豊かな社会に変えていく。先ほどお話しした企業活動とも繋がる「全体と個のサイクル」を私たちは再度意識する必要があるのではないでしょうか。
そう考えれば、個性とは「社会に生かされているという前提のもと、自分らしく貢献できることはなんなのか?」という視点から現れるものだと思います。

組織づくりのプロが語る〜イノベーションと社会貢献意識から考える多様性とは

それはつまり、他者や自分の関わる社会、周辺環境であるモノ・コトが変われば、立ち現れる自分らしさ・個性というものも変化しうるものだ、ということになります。

また、「個性に本来良し悪しはなく、違いがあるというだけ」という観点も、共通点として挙げられるものです。

個性って作っていくものではなく、生まれた時から生きていく過程も含めて全ての人に存在するものだし、ある意味「全ての人にあってしまうもの」だと思います。
だから、個性を活かす・尊重するのであれば「あるがままの自分を認め・伝えること」と「誰かのあるがままを評価をせず、あるがままに受け取ること」が大事なのかなと。個性は「あってしまうもの」で、それ自体が素晴らしいことだと思うので、互いの個性を認め合い、素晴らしさが発揮しあえる状態になることが理想ですよね。

【前編】Compathが描く個と社会が共存する姿ー「人生の学校」という個性再考の場

簡単に言えば、個性とは「他人と違う自分の特徴」ということだと思います。
もちろん、性格診断など専門的なテストを受けて個人の特徴を分類することもできるとは思いますが、結局は他人と出会って気づくその人との違いが個性ということです。
なので、個性そのものに良し悪しはないんです。ただ違う特徴があるというだけ。そして何よりも大事なのは、違いがあるからこそ「自分には何ができるんだろう?」という考えが生まれて、自分自身の価値を発揮する気持ちになれることだと思います。

【前編】オルタナティブな学びのプラットフォームが描く新たな教育〜LEARNが見つめる個性の姿とは

本来、個性というのはさまざまな環境において発現する自分の特徴であり、それ自体に良し悪しという評価は本来存在しない。

そのような個性に良し悪しをつけてしまっているのは、個性そのものの問題ではなく、「この社会においては、このような個性や特徴を評価する」といった社会における評価の尺度が固定的・限定的になっているということが一つの原因であると言えるでしょう。

多様性とは「多さ」と「遅さ」を条件とする

個性とは固定的ではなく、かつ良し悪しを持たない他との違いだとすると、それを固定的にし良し悪しを決めているのは社会で共有されている評価の尺度だと言える。

それは同時に、限定された社会の評価軸があるかぎり、個性の間で認められるものと認められないものという格差が生まれ、社会における多様性は実現できないという構図が描かれてしまうということも意味します。

では、どのような社会の評価軸のあり方が、自分らしさとその先の多様性を包摂する社会に必要となるのでしょうか。

その点に関して、Social Quantumたちの思考から見えたのは、評価軸の「多さ」判断を下すスピードの「遅さ」でした。

一つのフォーマットの中で、個性を発揮しようとしていることで、結果的にモノクロな感じになっているというか。つまり、誰もが個の発露よりも先に評価がほしいんですよね。個をむき出しにしたのに肯定されないのって、一番辛いですから。
なので、これは個の問題というよりも社会全体の問題として、「今僕たちがグッとくるものってなんなのか」ってことを一度立ち止まって考え直し、評価軸をもう少し手前に置けるといいのになと思います。何を言うか何を表現するかで評価するのではなく、「どれだけむき出しになれているか」というむきだし度で評価するとか。個性といえるものの領域って、発信したり装ったりするものよりも、「どうしても引き出されてしまうもの」の割合の方が実は大きいんじゃないかなって思います。

【前編】現代僧侶 稲田ズイキが考える「無限の個性」との出会い方

現代って生産性や効率化という意識がすごく高まっていると思うんですが、そうすると、コミュニケーションすること自体も「面倒くさい」と思ってしまう。
ただ、コミュニケーションを経ずに行動していくと、周囲の人たちからは「わがままだ」とか「自分勝手だ」とも思われてしまいます。共創とか多様性といったものがしっかりと実行できるためには、いろんな意見があることって面白いよねって多くの人が心から思える段階にならないと難しいと思います。そのためには、面倒くさいけれど対話することに慣れていく必要があると考えています。

【後編】Compathが描く個と社会が共存する姿ー「人生の学校」という場の創出

社会における限定的な評価軸を優位なものとせずに、複数の評価軸を社会システムとして導入し機能させることができるか。また、他者の評価を行う際に「効率」という軸を脱し、「理解」や「興味」というモチベーションで駆動するコミュニケーションを機能させ、社会全体の評価と判断のスピードダウンを目指すことができるか。

この2点をいかに実現するかが、多様性に溢れた社会の条件となるのではないでしょうか。これによって導かれる社会は、「熟議」という考え方をベースに運営される社会と言えます。

熟議民主主義(Deliberative democracy)とは、「人々が対話や相互作用の中で見解、判断、選好を変化させていくことを重視する民主主義の考え方」です。

【熟議民主主義とは】事例から批判までわかりやすく解説

このような熟議民主主義的な考え方のもと、支配的な一つの社会評価軸ではなく、複数の評価軸が社会レベルから個人間レベルまで対話によって形成され、変化し、増加していく世界線が、私たちにとって目指したい多様性のある社会ではないでしょうか。

ただし、その達成にはまだ多くの課題が残っています。

「そもそも、現在の社会を覆う効率・生産性主義の思考から抜け出せるのか?」
「評価軸を複数創出できたとして、それが機能し社会や人々の中に定着するためには何が必要なのか?」
「社会全体のスピード感が落ちた場合、経済や生活のシステムはどのような変化と影響を生み出すのか?」

数えきれないほどの課題の中で、最も重要なことは「いかに考え続けるという楽しみとエネルギーを持てるか」ということではないでしょうか。

今回の特集の「再考」というキーワードは、これからの社会において何度も繰り返し唱え続け、実践し続けないとならないものだと、私たちは思っています。

anow編集部

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