【特集1】多様性の時代に、わたしたちは個性とどう向き合うのか?

田中 滉大 anow編集部 プロデューサー

デジタルメディアエージェンシー、人材スタートアップ、ライフスタイルデザインスタートアップを経験し、企画ソロレーベルKUMO KIKAKUを主宰。
「個人の幸福と手の届く社会の幸福」をテーマに、プロダクトやサービス、まちづくりなどの企画を行っています。
個人を優先しすぎるのではなく、社会を優先しすぎるのでもない、それぞれが最適に結びついた「新しい時代の当たり前」をanowを通じて探していきたいと思います。


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「多様性」や「ダイバーシティ」という言葉を聞いた時、聞き馴染みがないと思う人は現代においてかなり少ないでしょう。

時代の変化に伴う社会の適応の中でも、「多様性」の占めるポジションはとても大きく、重要なものとして認識されています。

そもそも多様性の定義とは、「生物的に多様であり、個体によって様々なあり方や異なる特徴を持っている」という意味を持っていますが、わたしたちの社会に適用されている意味合いとしては「特定の個人の持つ特徴や志向性が、社会的に弱い立場・少数派として不平等的および不当な扱われ方をされていたことに対して、平等かつ個人のあり方が尊重された社会づくりを行う」という側面が強く出ているように思えます。

つまり、現代的テーマとしての多様性は特定の様相を持ちながらも、そのアクションを通じて、社会全体で漸次的に個に対して平等かつ生の肯定ができる方向へ進もうと努力している状態であるとも言えます。

しかし、さまざまな障害やしがらみ、困難な壁も多数存在していることも事実です。

慣習的な特定の価値観が強い社会において、「新たな価値観を認めることで一時的(もしくは恒久的)な機能不全に陥ってしまう政治・社会システムや文化的な伝統などもある」という考えが、反動として生まれてしまうこともその一つでしょう。

例えば、現内閣総理大臣である岸田氏の秘書による同性婚をめぐる「認めれば社会が変わってしまう」や「見るのも嫌だ」などの発言に対する賛否両面からの意見も、新たな変化が生み出すものへの期待とその反発のリアクション例と言えます。

出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230204/k10013970711000.html

このような変化と現状との衝突が様々な場面・テーマにおいて起こっているからこそ、わたしたちの多様性に関する議論は、時を経るごとにその存在感を大きくし、三方よしならぬ「全方よし」の社会はどうやったら実現できるのか?という大きな問いに発展していこうとしているように思えます。

しかし、多様性というテーマにあるさまざまな側面でも、今回の特集で注目したいのは上述に関するものではありません。

本特集は、多くの人々にもっと身近で、もっと”リアル”な問題である「個性」についてスポットを当てたものとなっています。

偏重する「個性の当たり前」への疑問と生活世界的な個性の再考

多様性と個性とは、ある種セットのようなものとして考えられるでしょう。

一人ひとりの個人が自分だけの個性を発揮し、それを他者が受け入れ、他社の個性を自分が受け入れる。その連鎖から生まれるのが、多様性の担保された社会です。

つまり、個性とは多様性の構成要素と見ることができる。

現代社会においても、「個性を発揮する」や「個性を尊重する」という考えは広く共有されており、私たちanowも「個の力・個性がより重要度を増す時代」という考え方を念頭に置いて活動を行っています。

しかし同時に、この個性というものに関して、私たちは様々な課題を抱えているように思えるのです。それは、「個性の考え方・あり方」がどこか固定化してしまっているように思えるというもの。

それは、他者からの評価によって自分の特徴や個性を考えてしまうという現象などによく現れています。評価経済が過度に社会や個人へ影響を及ぼし、その結果自分自身の個性というよりも、誰かのための個性という考えになりやすくなっているという側面もあるでしょう。

また、個性を尊重していこうという社会全体の動きの中にも、違和感を感じてしまうことがあります。

例えば、文部科学省は、教育振興基本計画において「個性を尊重しつつ伸ばし、個人として、社会の一員として生きる基盤を育てる」という一つの方針を宣言しています。

しかし、細かく見ると「学校の規則を守っている」や「落ち着いて授業を受けられている」などの表記がされており、ある種の条件付きの個性の尊重と育成という側面があることがわかる。

出典:https://www.mext.go.jp/a_menu/keikaku/pamphlet/002.pdf

では、その枠組みや条件の中に入り切らない個人(あるいは個性)は、どのように尊重され、育てられることができるのでしょうか?

その答えとして、「社会には色々な選択肢があるから、自分に合うものを選べばいい」という主張が考えられますが、実際のところ、まだまだ現実的な答えとは言えないでしょう。

幅広い個性を尊重した教育法である「シュタイナー教育」を取り入れた学校などは日本でも増えているが、そこに入るためにも様々な条件・制限が存在している。

そのほかにも、経済的理由、家庭的理由など様々な理由によって、選択肢を選べないこともあるだろうし、社会にある選択肢があらゆる個性に対して開かれているかといえば、それにも「でも、選択肢の豊富さにはグラデーションがあるけれどね」という注釈がつくことが、現代に生きるわたしたちにははっきりと感じとれてしまう。

このような状況を生み出している一つの要因として、「個性について深く考える機会」が社会においてあまりないことが影響しているのでしょうか?

個性とはどのようなもので、どのように考えることができ、だからこそ社会はそれにどう向き合うことが求められるのか。

そのような議論を行うことが、多様性のスタート地点として何よりの価値を持つのではないかと、anowは考えます。

多様性に開かれた社会を築き上げていくために、まずその構成要素である「個性」について多様な考え方・あり方、そしてそれらの認め方を議論していくことが重要です。

そこで、今回の特集では、哲学用語で”あるがままの状態・関係性で成り立つ世界観”という意味合いを持つ「生活世界」というキーワードを掲げ、個性について幅広い視点・フラットな視点で再考していきます。

個性に関する多様な考え方の可能性、またそれらを社会に対して表現したり、実装・拡大するような活動を行うSOCIAL QUANTUMにインタビューを実施し、多様性を認められる社会への変化の土台である「多様性の中にある個性の新たな当たり前」について考えていきたいと思います。

田中 滉大 anow編集部 プロデューサー

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