“志ある難民”を活躍人材に〜不都合な事実にも向き合う共生社会への糸口

特定非営利活動法人WELGEE 代表理事 渡部 カンコロンゴ 清花 氏

細見 優

11年間の女子校生活を経てDE&Iに興味を持つ。大学在学中にトビタテ留学JAPAN第2期生としてフィンランドと台湾に留学しインタビュー活動などを実施。インクルーシブな社会の実現を目指しソーシャルビジネス界隈での営業、事業開発経験を経て、夫婦で1年間の世界一周バックパッカー旅へ。旅の経験をYouTube、note等で発信中。


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2022年、世界の難民・避難民は1億840万人に達し、その数は過去最大となった。「難民として逃れるビザ」は存在しないため、命の危険を感じ母国から逃れようとする人々は、まずビザなしでも行ける行き先や、短期滞在のビザ取得をめざし、避難先となる土地を探す。その中には、日本に辿り着く人もいる。

彼らが長期的かつ安定的に日本に滞在できる唯一の方法は、政府による難民認定のみで、その割合は長年1%以下に留まってきたのが実情だ。2022年に初めて2%を超えた。

実は難民として逃れてきた人の中には、多言語話者や専門スキル、多様な経験を持つ人材も少なくない。そこで、難民認定を待つ間の不安定な在留資格を、専門的・技術的分野の在留資格へ変更することで、安定的に暮らせる「もう一つの活路」を見出してきたのが、NPO法人WELgeeだ。

このビザ(在留資格)変換は2018年頃まで実質不可能とされてきた。NPO法人WELgeeはなぜこの不可能な挑戦へ取り組み、そして道を切り開けたのか、また難民支援を通して感じる「共生社会」への向き合い方について、代表の渡部カンコロンゴ清花氏に話を伺った。

PROFILE

渡部 カンコロンゴ 清花 特定非営利活動法人WELgee 代表理事

静岡県浜松市出身。日本に来た難民の活躍機会を作り出すNPO法人WELgee 代表理事。様々な背景を持つ子ども・若者が出入りする実家で育つ。大学時代はバングラデシュの紛争地にてNGOの駐在員・国連開発計画(UNDP)インターンとして平和構築プロジェクトに参画し、国家が守らない、守れない人たちの存在を目の当たりにして帰国。 2016年に日本に逃れてきた難民の仲間たちとWELgeeを設立。「WELgee Talents」にて難民人材と日本企業を繋ぐ人材コーディネーション事業を展開。グローバル・コンソーシアムINCO主催『Woman Entrepreneur of the Year Award 2018』グランプリ。Forbes 30 under 30のJapan / Asia 選出。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2022受賞。静岡文化芸術大学卒業、東京大学大学院 総合文化研究科・人間の安全保障プログラム 修士課程修了。Global Shapers Tokyo hub所属。トビタテ!留学JAPAN一期。サンデーモーニングコメンテーター。埼玉県川口市多文化共生指針策定委員。法政大学「国際NGO論」非常勤講師。3歳児育児に奮闘中!

前例なき手段でも諦めない~日本に逃れてきた難民の「人生再建」

渡部氏が日本に来た難民と関わりはじめたのは2016年頃のこと。当時まだ学生だった渡部氏は、まずは難民たちのことをしっかり知ろうと、集まりを企画してはひたすら彼らの話を聞いたという。

渡部:彼らがこれまでにどれほど困難な状況を経験してきたかは、私たちの想像を遥かに超えるものばかりでした。彼らとの会話の中で、難民の方々は、あの時、あの人との出会いを大事にしなかったら、あの情報をもらえなかったら、あの道を突破できなかったら、死んだのが仲間ではなく自分だったら・・・どこかの地点で諦めていたら自分は今ここにはいないという、想像もつかない困難さに直面してきた人たちだということを知りました。

祖国に残してきた家族と連絡が取れないこと、仕事をしたくても来日当初は就労が許されないこと、体調が悪くても病院にいくことができないことなど、難民が日本において困ることをあげはじめたらきりがないそうだ。しかし、彼らの話を聴き続ける中で、実は祖国でユニークな経験をしてきた人が多いことを知った。

渡部:私たちが事業を通じて出会う20〜30代の難民の中には、祖国で積んでいた経験が豊富な人もいます。大学を出て専門性を持って地元で団体を立ち上げていた人もいますし、失業率が高い地域で工場をつくり雇用を生み出していたけれど、村ごと焼き討ちにあってしまったという人もいます。
しかし、祖国では自分の名前を言うだけで通用するような信頼を積んでいたとしても、日本にはそれを理解してくれる人はいません。これまで積み上げてきたものがあったはずなのに、自分の話を聞いて評価してくれる人はいない、もしくは危険を伴うことから自らの経験を語ることすらもできない場合もある。そのような、全てが白紙になる感覚は、これまでどれだけの困難に直面してきた彼らにとっても、辛いものです。そういった状態を知り、私たちは彼らの「人生再建」に寄り添い、伴走するようになりました。

難民認定を待つ間は、難民申請者としての在留資格を半年ごとに更新しながら、サバイバルジョブ(明日を生きるための仕事)でなんとか生活を繋いでいくのが、一般的な難民申請期間の現実だ。しかし、渡部氏たちは、そういった経験やスキルのある人材との出会いをきっかけに、専門的・技術的分野の在留資格への変更を目指せれば、「難民」としてではなく「専門的人材」として日本で安定的に働き暮らしていけるのではないかという仮説に至ったという。実質不可能とされてきた在留資格の変更に、どうして挑むことができたのだろうか。

渡部:大事な問いをくれたのは、私と同い年のアフガニスタンの少数民族の友人です。すごく頭の良い彼は真剣にこう問いかけてきました。
「僕だって全部調べたよ。日本の難民認定率も知っているし、僕と同じように迫害にあって逃れてきた人が続々と難民不認定になっているのも知っている。支援団体の人たちは、認定されるまで頑張ろうとか、その迫害の経緯なら認定されてしかるべきとか、それまでの住居や食べ物が必要だったら相談してと言い続けてくれるけど、同じ状態に君が立たされたら、0.3%(当時)の難民認定というゴールを本当に目指すのか?」と。

渡部:私たちは当時、難民認定数があまりにも低い日本の現実を知りながらも、「難民として逃れてきた人は難民認定されるべきだ」という思いから、思考を広げられていませんでした。認定されるまでに少しでも人間らしい生活ができたらと模索していたけれど、そもそも、難民認定されるのを待つ以外の選択肢を探すことを避けていたのだと思います。もちろん難民認定率を上げるべきだとは思っていたけれど、もう何十年もたくさんの弁護士さんや専門家がアドボカシーしてきた内容を、知れば知るほど、あまりにも専門的な領域がゆえに、走り出したばかりでまだまだ弱小の学生NPOがそこを最初から担えるわけないという感覚もどこかにあって。
でも、難民認定がほとんど日本でされていないのに、その結果を騙し騙し待っているのは自分たちにとっては無理だ!ということを真正面からその友人に突きつけられた。その時、「ゴールは難民認定しかない」と思い込むのをやめることにしたんです。
だから「日本で就労という切り口はちょっと難しいのでは?」と言われても、「本当にこれしかないのか?と友人に言われてきてるのでもうちょっと探りたいんです!」と当時の私たちは諦めませんでした。

逆にその道をすでに極めていたら可能性があまりにも低いと諦めていたのかもしれないけど、当時学生で知らないことも多かったからこそ、「そもそも在留資格も、法律にも運用にも、できるとも書いてないけどできないとも書いていない」という事実を糸口に、解決手段を切り拓いていくことができたのかもしれません。

就労までの伴走と育成事業を立ち上げ、在留資格の変更への挑戦をはじめて約3年。450名以上の難民の方々と対話し、38名以上のマッチングを生み、11名の在留資格の変更を達成した。

渡部:私たちは難民の就労を支援していますが、日本語の堪能さや、即戦力であることだけを売りにしたいわけではありません。在留資格が採用時にはまだ不安定なこともありますが、それはあくまで難民申請中という背景と制約下に置かれているからです。私たちは、彼らの持つ逆境を乗り越えてきたパッションや異文化環境で働いてきたバックグラウンドも含めて、その人の持つ個性や才能(=Talents)に向き合ってほしいと思っています。
そんなメッセージをこめて、WELgeeの採用コーディネーションサービスは今年「WELgee Talents」というサービス名でリブランディングを行い、企業様とのマッチング、そして定着フォローアップにますます力を入れて取り組んでいます。
これまでに生まれたマッチングの事例としては、アフリカの紛争が激しい地域から逃れてきたエンジニアのCさんがAIプロダクトのプロダクトオーナーとして採用されたものや、ジャーナリストだったウクライナ人のAさんが、ウクライナ避難民を支援するNGOの調査研究チームに当事者として採用されたものなどがあります。

簡単ではない「多文化共生」~ウクライナ侵攻後に見えた日本の課題と兆し

渡部氏たちが活動をはじめた当初の2016年、日本の難民認定数は年間1万人の審査中わずか28人だった。2022年には認定数自体は200人を超えたものの、認定率はいまだ2%に留まる。

認定を待ちながら、就労という手法で難民の法的・経済的・社会的安定性を目指す渡部氏たちだが、彼らと関わる中で感じる難しさもあるという。

渡部:難民の人たちと関わっていると、「多文化共生」という綺麗な言葉では語れない難しさがあるなと思うことがあります。
彼らの豊富な知識や経験には驚かされる一方で、難民の人が全員、様々な事象に寛容でリベラルかというともちろんそうとも言い切れません。例えばアフリカには、同性愛者が死刑になる国がまだまだ多く、LGBTQの背景であることを理由に逃げてくる難民もいますが、一方で別の難民の人はLGBTQ当事者のことを受け入れられないといっていたこともありました。みんな、どこかの土地での正義やイデオロギー、理不尽さや、戦争の中から逃げてきていて、別の正義から弾圧にあって逃げてきた人のことを理解できない瞬間だってあったりして、多文化共生なんてそう簡単じゃないなと思うんです。それは日本人でも同じです。
人はこんなにも違っていて、相入れない価値観を持っていて、それでも自分とは異なる他者とどうにか一緒に生きていく方向性を目指すことが、グローバル化であり、多文化共生なんだなということをいつも考えています。貧困家庭で育った人は仕事熱心でいてほしいとか、被災地で育った子供にはボランティアへ感謝してほしいとか、難民には誠実でいてほしいとか、そういった「良き受益者」の像を押し付けて、その枠に当てはまっている限りは優しくしますっていうのもなんだか偉そうだなと思っていて。「支援」や「正義」が陥るパラドックスかもしれません。「難民として逃げてきた人はみんな健気で一所懸命でスキルがあって頑張ってます!」みたいなのは美しいストーリーだけど、人間ってそんな簡単な構図にはいない。共生のあり方・難しさをずっと考えながらここまでやってきたという感じです。

変化に敏感で、違う価値観や文化が外部から入ってくることへの抵抗感が強いとも言える日本。しかし歴史的には、外部の文化を取り入れながら成長してきた国だ。難民の受け入れに関して一筋縄ではいかない中で、渡部氏は2022年ロシア軍によるウクライナ侵攻の際に風向きの変化を感じたという。日本政府はウクライナ避難民の受け入れを即座に宣言し、パスポートやビザがなくても日本へ渡航可能にし、自治体も都民住宅の無償提供やウクライナ避難民専門窓口の設置など、異例の措置をとった。

渡部:これまで難民というとどこか遠い途上国のイメージがあったものが、ウクライナという、多くの日本人にとって心理的距離が近いところで起こったことで、自分ごととして捉える人が増えたのではないでしょうか。「遠いアフリカの国」「いつも混乱している中東のどこか」ではなく、旅行や留学で行ったことがあったり、テレビに映し出される風景も「私たちと変わらない人々の生活が突然破壊された」と。ヨーロッパではより身近に自分事として捉えた人が多かったと思います。
また、政府がちゃんとやると言えば、これだけのアクターが一緒に動けるんだというのは大きな驚きでした。企業も就労に手を挙げ、日本語学校も無償での受け入れを表明しました。
同時に、同時期にアフガニスタンのタリバン政権から逃れてきた人もたくさんいるのに、彼らへの支援はほぼ何もなかった。都営住宅も無料では入れないし、大学もウクライナ避難民にしか奨学金がないなどあまりにも違う措置でした。そもそも、日本に逃れる手段としてのビザも出なくて命懸けの立ち往生状態。それには正直私たちもびっくりしましたし、本人たちも複雑な気持ちだったと思います。
ウクライナ避難民に対して素早い措置を取ったことが悪いというわけではなく、それは当時の国際社会の中でも素晴らしい動きだったことでしょう。そして、それくらいできるのであれば、他の国から命を繋いでやってきた人たちに対しても、もう少しできることがあるという可能性を示してくれた出来事だったと捉えています。

2015年の欧州難民危機から8年。グローバルでは、積極的に受け入れを継続する国もある一方で、一部国・地域においては排他的な動きも出てきており、難民問題は複雑さを増しているようにも見える。今後日本は外国人との共生についてどう考えていくと良いのだろうか。

渡部:パーフェクトな難民政策を持っている国はありません。その時の政権によって命の重みや判断が左右されることの無いように難民条約があります。しかし、近年の各国の動きを見ると、やはり時の政権とそれを支持する国民の意向によって、状況は大きく変わりうるものであることが伺えます。
いろんな原因でどこかの国に住めなくなった時、新しい土地を探さなければなりません。しかし、すでにそこで暮らしている人々がいる。理想だけを語っていては、ホストコミュニティと新しい住民の共生は成り立たないし、受け入れる人数にはある程度の上限が必ずある。急速に達成できるものでもありません。例えば2015年ドイツは、100万人の難民を一気に受け入れました。受け入れるという政治的意思を方向性として位置付けたことはリーダーの1つの判断として素晴らしかったかもしれないし、難民受け入れについてドイツのグッドプラクティスから学べることは多いです。けれど、他の周辺国がそれに追随したわけでもなく、揺れ戻しもおきました。一方で、今回日本はおよそ2400人のウクライナ人を受け入れましたが、社会的混乱や不安要素なんかには陥っていないですよね。不可能じゃないグッドプラクティスが、世界にももっとあるはずなんです。感情的な不安に揺れそうになる時ほど、データや根拠に基づく選択肢の提示が重要だなとも思います。

イデオロギー論争ではいけない~共生社会へ一人ひとりどう向き合うべきか

難民受け入れというテーマに関連して、移民問題もある。受け入れ国側が政策として誰を受け入れるか調整できる「移民」と、難民条約に基づき保護すべき「難民」は異なる性質のものだが、難民の中から人材として活躍し、長期的に日本に暮らす人の事例が生まれているとするならば、2つのテーマは切っても切り離せない。世界的に見れば、WELgeeの取り組みは「難民」を「移民」として受け入れる方法でもある。

外国人受け入れの議論は、イデオロギー論争になるべきではないと渡部氏は言う。

渡部:必要なことは、冷静に現実を直視することだと思っています。このままいくと、2100年には人口は6000万人になるとされているのが日本です。社会システムの崩壊や地方都市の消滅も危惧されています。先日の有識者会議からは、4つの選択肢から、8000万人サイズの安定した日本というものが国に提言されていました。これは一つの提言ですが、その際の外国人比率は10%です。日本は今少子高齢化で、労働力が不足している、それは周知の事実です。子どもを増やすという観点の議論もありますが、もう一つ、外から人を入れるのであれば、正面から堂々と「移民政策」について話さなければなりません。
なぜかというと、短期のローテーションだけで「労働力」を補い続けることを想定した議論と、長期的な国家のあり方を見据えた時の移民政策で重要な論点は異なるからです。先祖代々ずっと日本に住んできた日本人のみで成立する国家というのはありえません。日本には、すでに中長期間以上日本に滞在し暮らしている在留外国人が300万人います。外から日本にきて、日本が好きで、日本という国で暮らしていきたいという存在を見込むのであれば、家族と共に暮らせたり、日本人と同様に生存権が保障されたり、最初は日本語や文化がわからないからそれらを学べる仕組みを整備することなどもセットにする必要があります。何年後までにどのくらいの人を受け入れるかを決め、プロセスを進むうえで、作った制度の何%くらいのエラーはでるかもしれないということも想定する必要があります。新しいことをする際に、1mmも失敗のない制度を求め、何かミスが起きたら行政を責めるということだと、政府や行政も縮こまります。全体的に守りの日本になってしまう。だから、いったん決めた「これでいってみよう!」という選択肢に向かって、少し寛容になって大きな社会実験をする感じが求められるのではないでしょうか。

渡部氏がいうには、清く正しく、一切のエラーも起こさないプロセスを選べるほど日本には時間がない。目指す姿を決めて、そのプロセスでどの程度の痛みが伴うかを見越した上で、少しダイナミックな社会実験を受け入れられるようになることが大切なようだ。
渡部氏はインタビューの最後に「目指す姿を決めるには、やはり私たち国民の関心と意思が必要だと思っています。政治に国民の関心は反映されます。どんなことでも新しいことをしようと思ったら多少の混乱は生じるでしょう。ただ、だからこそ、不都合な事実も誤魔化さず、判断の材料をとことん出しきってみる。その時に、全体像の把握や統計って改めて大事なんだと感じます。日本に暮らす外国人の納税や消費の傾向、足りないと言われる労働力のどれだけを補い支えられている状態か、社会保障システムへの貢献や年金の状況、子どもたちの教育へのアクセス・・・この課題を考える際に、人によって、懸念事項は異なります。議論のスタートラインをなるべく揃え、この先残したい日本の形について考え、目指す姿に対して合意を重ねて歩むことが、日本という国が世界に開いていく上で大事なことだと思います。」と語ってくれた。

◎難民人材の採用に関心がある方へ
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細見 優

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