【後編】宮司を中心に産官学民が集う「宗像国際環境会議」

宗像大社 宮司 葦津 敬之 氏

anow編集部


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特集2:異質コラボレーション -異次元の接触が生み出す新たな可能性-

これまでの特集を通して見えてきた「共創」というSOCIAL QUANTUMの特徴。今回の特集では、「共創」の中でも特に彼ら・彼女らだからこそ起こった、異質性の高いコラボレーションに着目し、その活動の意義、またコラボレーションによってどんな新しい社会的価値が生み出されているのかを探る。

福岡県宗像市に所在する「宗像大社」は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)の三社からなる神社で、日本神話に登場する日本最古の神社の一つである。また2017年には、「“神宿る島”宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。

宗像大社(出典:宗像大社

そんな宗像大社の宮司である葦津敬之氏が2014年に設立したのが「宗像国際環境会議」だ。

葦津氏は、自身のライフワークである「自然環境問題」と、奉職先である宗像大社が抱えていた課題を掛け合わせ、地域のコミュニティ、前職場での仲間や取引相手、同年代の友人たち、同じ課題を抱える人々との多種多様なコラボレーションで「宗像国際環境会議」を創り上げた。

後編ではどのような経歴からライフワークとして「自然環境問題」を掲げたのか、どのように共創相手を広げていったのかについて、葦津氏に伺った。

PROFILE

葦津 敬之 宗像大社 宮司

昭和37年11月福岡市箱崎生まれ。昭和60年皇學館大學を卒業後、同年熱田神宮に奉職。同62年神社本庁に奉職。平成8年主事。総務課長、惰報管理課長、教学課長、国際課長、同21年参事、財務部長、広報部長を経て、平成24年4月に宗像大社に奉職。同25年権宮司昇任、同27年6月宮司昇任、現在に至る。ライフワークは自然環境問題。

「自然環境問題」との出会い

葦津氏がライフワークとして「自然環境問題」を掲げたきっかけは、昭和天皇が崩御された1989年まで遡る。
長く続いた昭和の時代が終わりを迎えた当時、ご聖徳を永く後世に伝え継いでいくために財団を設立しようという動きが宮内庁、文部科学省を中心にあった。神宮を本宗とし日本各地の神社を包括する宗教法人である神社本庁に奉職していた葦津氏は、その財団設立のための定款作りに携わることとなる。
昭和天皇は、生涯に渡って植物や粘菌、海中生物に関心を持たれ、生物学者としても世界的に高い評価を得ていた。

葦津:当時は平成へと時代が変わり、バブルが弾け出した頃で、物欲に塗れる社会が是とされながらも、そこに疑念を持つ人々も少なからずいるような状況でした。そのような社会の状況を踏まえ、生物学者として名高い昭和天皇の財団を作るのであれば、環境問題を定款に組み込むべきだという提案がありました。当時は、まだ環境問題というのは社会から見向きもされないもので、僕も環境問題については全くと言っていいほど無知でした。

提案者はアメリカで長くオーガニック農法関連の職に携わっていた方で、みんなを説得するために世界的アニメ監督である宮崎駿氏の作品を持ち出したという。

葦津:当時は現在のようにインターネットで簡単にものを調べられる時代ではなかったので、宮崎駿について少し調べ彼がアニメーターだということがわかったときは、ちょっと馬鹿にしたような空気になりました。ただ実際に宮崎駿の世界に触れると、大量生産大量消費が当たり前の今の時代が続くと、人は、社会は、環境はどうなってしまうかが描かれていた。そして、それはアニメの中だけのものではなく、確かにこの状態が続けば、こういうことになっていくだろうなと納得できるもので、非常にショックを受けると同時に、環境問題への取り組みの重要性を認識しました。

そこから定款へ環境問題を取り入れるため、葦津氏たちはまず、提案者が元々持っていたネットワークを活用し、オーガニック農法に携わる人たちと勉強会を始めたそうだ。
オーガニック農法とは「有機」、つまり、農薬や化学肥料に頼らず、太陽・水・土地・そこにある生物など自然の恵みを生かした農林水産業や加工方法を指す。勉強会では、化学肥料や農薬を用いた農業と比較すると収穫量が減少するが、人や動植物、微生物などすべての生命にとって、平穏かつ健全な自然環境・社会環境が実現するとされているオーガニック農法の理念から環境問題を捉えていった。

そういった勉強会の中で、神社には必ずある「鎮守の森」の価値や可能性について指南を受けた。神職に就き、森の中で日々を過ごす葦津氏にとって、オーガニック農法コミュニティの方に指摘された森の価値やグローバルな価値観との親和性は驚くものだったという。

葦津:外部の方から指摘され初めて、鎮守の森を環境問題と関連付けられるということに気付きました。そして自身の職とのつながりが見出せたことで、自然環境問題への関心はますます強くなりました。そこからは勉強会の内容を森を中心にしたものへ移し、より知見を増やしていきます。1994年にはその成果として、「1000年の森シンポジウム」という三重県伊勢での国際環境会議を開催しました。その当時の社会の現状をどのように変えていくか、このままいくと訪れてしまう未来をどう回避するか、まだ答えはないけれど、まずは森を作り、森を残すことを目指そうというのが、このシンポジウムの主旨でした。

葦津:「1000年の森」というタイトルは、ウェールズ生まれの日本の作家で環境保護活動家でもあるC・W・ニコル氏著の「TREE(ツリー)」という本から取っています。この本には、ニコル氏自身のアイデンティティや森に対する考え方、ケルト人である自身と日本に根付く自然観の共通点等が書かれています。初版発行は1989年ですが、その内容は今読んでも学びの多いものです。巻末には宮崎駿氏との対談がまとめられていて、その対談ページに入れられた挿絵のタイトルが「1000年の森」です。ニコル氏はシンポジウムにも参加してくださいました。

こうして計画、実施された「1000年の森シンポジウム」には、多くの有識者が集まり、その成果は1本の報告書にまとめられた。
当時は、「Sustainable development=持続可能な開発」という概念が提唱されてすぐの時代でもあったため、シンポジウムでも「森を作り、森を“残す”」というテーマのもと、サステナビリティに対する考え方や行動の起こし方についても議論された。報告書には今の時代にも通用するような最先端の環境問題に対する知見がまとめられているそうだ。
※ノルウェーの元首相、グロ・ハーレム・ブルントラント氏が委員長を勤めた「ブルントラント委員会」によって、1987年に国連に提出された報告書「我ら共有の未来(Our Common Future)」の中で提唱された。報告書の中では、持続可能な開発とは「将来世代のニーズを満たす能力を損なうことがないような形で、現代の世代のニーズも満足させるような開発である」と定義されている。

「1000年の森シンポジウム」は報告書を作成し終わりにするのではなく、「森を作る」ことを次の目標として設定した。

葦津:「森を造る」ことを議論するなかで、当初は、田舎に森をつくる構想もありました。ただ田舎って既に森があるので、森に対する意識が薄いわけです。一方、今でもそうですが、都会では森は貴重です。明治神宮の森は人工的に作られた森だというのはご存じですか?青山練兵場の跡地であった何もない場所の真ん中に神様を据え、当時で90年以上の時間をかけ森をいちから創り上げた明治神宮は僕たちの良いロールモデルでした。

そのロールモデルを適用し、葦津氏らによって、一から造られたのがお台場「海の森公園」だ。
この公園は、1973年(昭和48年)から1987年(昭和62年)にかけて埋め立てられた1,230万トンのごみと建設発生土の上に立地する。2005年(平成17年)2月24日に開催された第74回東京都港湾審議会において答申された構想で、2007年から本格的に植樹を開始した。完成には30年かかる予定で、完成すれば東京都区部で最も広い公園となる。

葦津:僕たちは1000年の森の集大成として、森を造れないかと東京都へかけ合いました。海の森公園になる場所には元々、全国植樹祭で天皇皇后両陛下が植樹された木を中心とした小さな林がありました。そこで僕たちはその林を中心に森を造ることで、精神も宿る良い森が造れるのではないか、またゴミの埋立地を森にするということは未来を生きる子供たちの財産となるのではないかということを東京都に対して提案したんです。高度成長期のゴミが埋め立てられたその土地は、まさに都会が環境を汚している象徴のような場所でした。子供たちは地方の自然豊かな場所に訪れはしても、自分たちの今の快適な生活の裏でこのようなゴミの埋め立てが行われているなんて夢にも思わない。埋立地を森にすることで、ゴミを埋め立てたという現実を教えつつ、森を再生できるという未来への教育もできるとおもったんです。現実を見せることと解決策を提示すること、これこそが環境教育の軸であり、非常に重要なことだと、その時認識したわけです。

2023年現在の海の森公園(出典:東京都)

その後、葦津氏は宗像大社への奉職が決まり、宗像国際環境会議を立ち上げることになる。この記事の前編で紹介した通り、宗像国際環境会議では、地元中高生向けの育成プログラムも行われている。

地元中高生向けの育成プログラム(出典:宗像国際環境会議

コラボレーションの重要性

昭和聖徳記念財団の定款作りにも、そこから派生した「1000年の森シンポジウム」にも、プロジェクトのベースには「コラボレーション」があったという。

葦津:僕は上司に恵まれて、「机の上で仕事をするな。30歳までにいろんな人にあって、一生の友を作れ。」と言ってもらえたんですね。その教えのもと、勉強会に顔を出したり、組織の外の人と積極的に関わったりすることをずっとしてきました。最初は外と関われと言われても何のために何をしていいかわからない。でも外と関わり続けることで、自分にはない発想をもらうことができたり、自分の目標や考えをブラッシュアップできたり。
定款作りでは、プロジェクトメンバーがたまたま関わっていたオーガニックコミュニティという観点から、定款の軸を環境問題へ絞ることができたりと、人の縁、その仕事に関わらず、それまでに培ってきたネットワーク、コミュニティが重要だということを肌で感じることができました。
上司の教えとその重要性を実感する出来事があったおかげで、宗像国際環境会議の設立時には、自身のネットワークを積極的に活用することができました。

葦津氏は自身の経験をもとに、若い世代にもどんどん外に出てコミュニティを増やしていくこと、そして、臆することなく、自身のミッションに「友」を巻き込んでいくことの重要性を伝えている。また自身については、創り上げてきたものに固執するのではなく、次の世代へと明け渡していく、そして、今の時代の中で自分が最大限できることは何かを常に考えていると話してくれた。

組織に勤め従来通りに働く人は多くの場合、仕事と外部、特に自身の「友」を結びつけるという思考を持っていない。葦津氏は若いころの経験から、当たり前に「友」へ相談し、自身のプロジェクトに巻き込み、共創することで、自身のミッションを達成し、また宗像市における環境問題解決のインフラ機能としての「宗像国際環境会議」という大きな社会的価値を創出した。

本特集のイントロ記事において、従来の企業同士の「協創」と違い、「コラボレーション=共創」の相手は、異業種、異文化、異世代など、異質性の高い者になりえる。そしてその相手を探すためには、領域にとらわれず、同じ熱量を持つ同志とのネットワークを広げる必要があると話したが、この同志というのが、葦津氏のいう「友」なのだと感じた。

anow編集部

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