“微生物多様性”による都市づくり~持続可能な社会へのBIOTAの眼差し

藤井 貴大 anow編集部 エディター/リサーチャー


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都市環境の微生物研究を行う伊藤光平氏が2019年に設立した株式会社BIOTAは、「生活空間の『微生物多様性』を高めることで健康で持続性のある暮らしをつくる」ことを目指す。同社は、生活空間における微生物をゲノム解析で評価しながら、微生物多様性を改善するための建築設計や素材開発、ランドスケープデザインといった取り組みを行っている。

さらに、昨年4月から日本科学未来館で行われている「セカイは微生物に満ちている」展の監修を行うなど、「なぜ微生物の多様性が社会にとって必要なのか」という観点から微生物に関わる文化醸成にも積極的に取り組む。

微生物とは、目に見えない他者だ。コロナ禍において顕著になったように、私たちは未知の存在への恐怖心を捨て去ることはできない。しかしながら、未知の存在を排除することは必ずしも環境を安定させるわけではないのではないか? 除菌ではなく「加菌」を訴える伊藤氏に、微生物多様性とは何か、ありうる都市の姿と他者との関係性について話を伺った。

PROFILE

伊藤 光平 株式会社BIOTA 代表取締役

慶應義塾大学SFC研究所 所員。1996年生まれ。都市環境の微生物コミュニティの研究・事業者。 山形県鶴岡市の慶應義塾大学先端生命科学研究所にて高校時代から特別研究生として皮膚の微生物研究に従事。2015年に、慶應義塾大学環境情報学部に進学。情報科学と生物学を合わせたバイオインフォマティクス研究に従事し、国際誌に複数論文を出版。 現在は株式会社BIOTAを設立し、微生物多様性で健康的な都市づくりを目指して研究・事業をおこなっている。 日本科学未来館 常設展示「セカイは微生物に満ちている」のビジョナリー兼監修。Forbes JAPAN「30UNDER30」選出、TOKYO STARTUP GATEWAY 2020 最優秀賞、SONY U24 CO-CHALLENGE 2020 準グランプリなど

「開かれた科学」に向けて

── 微生物に関心を抱くようになったのはどうしてですか?

伊藤:実家の近くに慶應義塾大学の先端生命科学研究所があり、地元の学生を迎え入れるプログラムがありました。高校一年生のときに参加して、たまたま教えてもらった大学院生の方が微生物の研究をしていたことがきっかけでのめり込んでいきました。

── 慶應義塾大学に進学した翌年には学生団体GoSWABを立ち上げ、都市の微生物叢(マイクロバイオーム)を研究され、Forbes JAPANの「30 UNDER 30」に選出されるなど、当時から大きな反響を獲得されています。

伊藤:2015年に発表された、ニューヨーク市地下鉄の約450駅から採取されたDNAについての研究論文を読んで衝撃を受けました。採取されたもののうち約半分は微生物のDNAで、残りの半分はなんの生き物かわからなかったと。「都市には人間以外にたくさんの生き物が住んでいるんだ」と思ったときに都市の見え方が変わりました。


最初こそ人手も欲しくてGoSWABを立ち上げたのですが、次第に市民科学のような開かれたサイエンスの重要性を感じるようになりました。ただ、反響に比して支援を受けられないというギャップを感じることも多くありましたね。


特に研究を始めたばかりの、肩書きを持っていない学生に対して支援してくれる企業や場所は少なく、資金を得ることが難しかった。だからこそ弊社では、学生の任意団体に対してできる限りの支援を行っています。

── そうした経験から研究職ではなく起業の道を選ばれたのでしょうか。

伊藤:アカデミアの難しさを感じたことも含め、企業とタッグを組んで研究を続けると一本の論文に当てられる予算の規模が増えるのではないかと考えたのも、起業することに決めた理由のひとつです。


さらにいえば、僕たちは論文を書いたあとのことに興味がある。論文を書くことで自分たちのソリューションに信用性を持たせて社会に実装するということが重要だと思っています。

BIOTAでは微生物解析を元にした植栽のコンサルティングを実施している(出所:BIOTA)

未知の他者としての微生物

── 一般的に微生物とはどのような役割を持った存在といえるのでしょうか。

伊藤:僕たちは微生物のことを全然理解していないに等しいのではないかと思います。生態系の中でいえば「分解者」と呼ばれ、地球の物質循環を大元で支えている生き物といえますが、一方で、地球上で最も多い生き物であり、人間がしばしば議論するような、人や動物、植物といった目に見える生き物の規模感を凌駕した存在でもあります。

── 都市における微生物叢とはどのようなものですか?

伊藤:まず、微生物にはそれぞれの住処があり、適した環境でしか増えることはできません。微生物が最も多く住んでいるのは土壌や水の中といわれており、人工環境の多い都市では、いわゆる農村部に比べるとその総量や多様性が著しく低くなると考えられています。


ところが、都市において唯一、そして最大の微生物の発生源といえるものがあります。それは何かというと、人間です。都市には人由来の微生物が溢れており、調査すると都市部と農村部では微生物の構成は明確に異なり、微生物多様性や組成に大きな差があります。

── 例えば東京近郊の郊外ではいかがでしょうか。段階的に差が表れるものですか?

伊藤:明確にグラデーションがあるかどうかは調べきれていませんが、そうした傾向があるとは感じています。ただ、ひとくちに緑が豊かな場所といっても、例えば一階と十階の室内では大きな差が出てくるので、一概に言いきれない部分もあります。


また、緑の量だけではなく緑の多様性も必要です。均等に同じ街路樹が生えているモノカルチャーな街だと微生物多様性が高まりづらいため、東京郊外でも駅前は都市部とそれほど差がないという場所も多くあると思います。

── BIOTAでは除菌より「加菌」の重要性を発信されています。都市の微生物多様性を高めることは、どのような点で重要になるのでしょうか?

伊藤微生物というと感染症や病原菌といった文脈で取りあげられがちですが、もし仮に微生物=病原菌であれば、土壌の微生物に触れる農耕社会の段階で人類は滅びているはずです。そうではなく、人に伝染するものが病原菌と呼ばれているに過ぎません。


暴露する微生物の量は海や山に入ったほうが増えますが、感染症が広がるのは満員電車にいるほうです。それは病原菌の大半が人由来の微生物の中に存在しているからです。

── 人由来の微生物が増えることで感染症のリスクが高まるということですね。

伊藤:そうですね。もうひとつ公衆衛生の側面からいえば、人とは異なる微生物に暴露すると免疫力が上がることがわかっています。特に幼少期に暴露する微生物の数や種類が重要なため、都市部において多様な微生物に触れる機会を作ることは、人々の健康に直結する問題といえます。

生活空間における微生物多様性向上の考え方(出所:BIOTA)

── 特にコロナ禍以降、除菌意識が高まっていますが、過度な除菌はどういった問題を含んでいますか?

伊藤除菌によって微生物がゼロになった環境は、次にどんな微生物がきても増殖しやすい環境になります。そうした空白の空間を作ることがじつは一番危ないんです。くわえて、除菌の方法によっては薬剤で死なない微生物、すなわち薬剤耐性菌を一定数生み出してしまうリスクも考えなければいけません。


ただ、僕たちは除菌に反対しているわけではありません。除菌はあくまでも、ふだん除菌をしていない環境に対して価値があるのであって、ときどき使う必殺技としては必要だと思います。

微生物多様性とウェルビーイング

── 微生物多様性を高めるためにどのような事業を展開されているのでしょうか。

伊藤:室内緑化も行っていますが、ランドスケープデザインが一番効率がいいと考えています。ただ、土が地面など低い位置にだけあるということはもったいないことだと思っていて、というのも微生物は基本的に重力の影響を受けて床に落ちていくからです。


一方、都市は合理性から考えても建物を高く積み上げていく構造を持っています。それでは地面に植物をたくさん植えたとしても微生物のインパクトを利用しきれないため、小さなランドスケープを数多く、かつ、建物の上層部に置くことが重要になってきます。


微生物が多様なランドスケープとは、都市にとってのヨーグルトのような存在になります。ゲノム解析を通して環境の微生物の評価をしながら、都市に多様な緑を配置し、微生物のインフラとして各ビルから微生物を共有することができれば、最も持続可能に地球を回すことができると考えています。

都市における生活空間の捉え方(出所:BIOTA)

── 健康面や公衆衛生への効果のほかに、例えばリラックスできるなど人の気分に作用する面もあるのでしょうか。

伊藤:例えば日本科学未来館の展示が、結果的にすごく居心地がいい環境になったということは事実としていえますが、「微生物が居心地いい環境を作ります」とはいえません。僕は人間以外も含めて居心地いい街づくり、そうした生き物との関係性を作っていきたいと思っています。


微生物にすべてを委ねるのではなく、人間は人間なりに努力する必要があります。自然と触れ合ったり、匂いを感じることで微生物によって成り立っている生態系や営みに気づくことが豊かさであり、居心地のよさに繋がっていくのではないでしょうか。


例えば匂いを例にあげると、何らかの匂いがしないということは、微生物の多様性やバランスが取れているからとも考えられるかもしれません。プラスの面をどう作り出すかではなく、なぜマイナスの面が生じていないかを考えることも必要です。

── 例えばアクアリウムやガーデニングはどちらも微生物の住む環境を作ること、共生関係を築くことから始まります。ある種の環境を作るうえで人間が介入できることは非常に少ないのですが、同時に簡単に環境を破壊することもできてしまいます。

伊藤:水槽はすごく敏感なもので、どうにもならなさがありますね。日々全能感を覚えている人類がアクアリウムを前にして無力感に膝から崩れるというのはいい経験だと思います。


人間が知覚できるものは限りなく少ないので、目に見えたり聞こえたり、匂いとして感じられないものはたくさんあります。人間の認知は拡大できないけれど、微生物が繋ぎとめている営みに気づき、理解できるかどうかが重要なんです。


それこそ窓を開けるだけでも外界から微生物を取り込むことができるし、家庭菜園でひとつの作物だけでなく様々なものを育てて生態系のようなものを作ることも簡単にできます。そのほかペットやいろんな生き物と触れあうのもいいと思います。

「都市」への愛着のゆくえ

──現在、神宮外苑の再開発によって743本の樹木が伐採されることがわかっています。新たに植樹や植栽をするとされていますが、伐採される樹木の中には樹齢100年を超えるものがあるなど、様々な課題が残されています。再開発が微生物叢に与える影響についてどのようにお考えですか?

伊藤:明治神宮は都心でも重要な生物多様性が実現されている貴重な場所であることは間違いありません。植物があればなんでもいいわけではなく、植物が根を張り、菌糸のネットワークが形成されていることが大きな価値を持っているのです。


多様な植物があって、多様な生き物、他者が集うことこそが重要で、同じ街路樹を等間隔に植える都市型のランドスケープがいいのかといえば、そうではありません。「緑」という言葉に対する解像度を高め、付き合い方を見直していく必要があると感じています。

──時間が経つことでしか形成されえないものにもっと意識的になる必要がありますね。

伊藤:もちろん保全のための議論はあってもいいと思いますが、僕個人としては人間が介入を行うことはいいことだと思っています。それこそ人の手によって作られた明治神宮のほうが手つかずの自然よりも生物多様性が高い環境になっているように、人間が知識や技術を使ってさらに生態系を豊かにすることもできる。


例えば木を伐採するとしても、環境容量が生まれることでほかの生き物がどのように入ってこられるかということを想像したうえで行うのか、それとも単純にすべてを伐採して更地にしてしまうのかでは意味が大きく異なります。生き物をマルチスピーシーズに集わせるための介入を行い、生き物と人間の関係性をよりよくしていくことが、理想的なあり方なのではないでしょうか。


僕が監修している常設展示「セカイは微生物に満ちている」で作られた庭は「拡張生態系」の概念が盛り込まれており、人間が生物多様性を高める方向に力を割くことでよりよい生態系ができることを示した展示でした。


生態系ができることで、人間が手を加えていたランドスケープのメンテナンスコストを、最終的にほかの生き物に委譲することができるかもしれません。それはとても素敵なことで、人間以外に委ねられる他者が存在するということが今後地球で持続可能な生活を送るうえで必要なことだと思います。

「セカイは微生物に満ちている」展での植栽展示エリアとBIOTAのメンバー(出所:BIOTA)

──微生物や多様な生き物との共生関係に主眼をおいて手を加えていくということですね。

伊藤:土地が本来持っている多様な価値が、経済合理性のもとに「面積」に置き換えられるような都市の作り方は悲しく思っています。


そうした街を微生物で変えることはできませんが、少なくとも都市の中で人間や経済の合理性とは異なるスケールで動くもの、すなわち、人間が動かすことができない自然が都市に存在しつづけることがひとつの希望だと思っています。


そうした生き物への気づきとともにランドスケープを都市に作ることで、ビルが次々に入れ替わってもまだ地元であると感じたり、好きな場所だと思えるような愛着の形成に役立つのではないかと思います。

「木についている微生物が風に舞って落ちてくることもあれば、土壌のものが舞い上がることもある」という話を聞きながら思い浮かべていたのは、豊かな木々から微生物が舞い、室内に広がっていく都市の姿だ。

BIOTAが微生物多様性を通して実現しようとしている「持続可能で健康な生活空間」は、人間中心主義的な価値に還元されるものでは決してない。かまびすしく宣伝される「価値」とは一体なんだろう?人間も含めた様々な生き物との共生関係の中にこそ愛着が形成されるという伊藤氏の言葉は、「価値」という言葉が本来持つ意味を再確認し、またここから考える始めるうえで非常に示唆的なものである。

記事協力(杉本 航平)

藤井 貴大 anow編集部 エディター/リサーチャー

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