【前編】Compathが描く個と社会が共存する姿ー「人生の学校」という個性再考の場

SCHOOL FOR LIFE COMPATH

田中 滉大 anow編集部 プロデューサー


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特集1:「生活世界の見つけ方〜多様性の中の個性を再考する〜」

今回の特集では、多様性の実現が叫ばれる現代において、その多様性の根源である「個性」のあり方について掘り下げる。
ある特定の条件や評価基準の中だけで成り立つ個性ではなく、その人のあるがままの姿や自然な姿が個性として認められ、受け入れられるために、私たちは何を考え、どのように変化を生み出せば良いのだろうか。インタビューを通じて、多様性の中の個性のあり方を再考する。

社会全体が「個性」の重要性を改めて自覚し、社会自体も個性を肯定しあえる方向へ変化しようと一歩を踏み出している現在。

社会人の学び直しのニーズが高まり、リスキング教育というキーワードも広く浸透し始めている。

そのような中、北海道東川町で「人生の学校」というコンセプトを掲げた学び舎が生まれている。

デンマーク発祥で民衆のための開かれた学校であるフォルケホイスコーレをモデルとしながら、日本ならではの形へカスタマイズした学校「School for Life Compath」(以下、Compath)だ。

今回は、創業者である遠又香氏と安井早紀氏にCompathの創業背景や、フォルケホイスコーレというシステムに見られる個性と社会の共存の可能性について話を伺った。

PROFILE

遠又 香 School for Life Compath Co-Founder

1990年、東京都生まれ、慶應義塾大学総合政策学部卒。15歳のときにアラスカの2000人の村に単身留学。大学時代は高校生、大学生向けのキャリア教育を提供するNPO法人で活動。大学卒業後は、ベネッセで高校生向けの進路情報誌の編集者として働いた後、外資コンサルティング会社に転職。日系企業の働き方改革支援プロジェクトや教育系のNPO法人のコンサルの仕事に従事。2020年〜 北海道東川町に移住し、School for Life Compathを運営。

安井 早紀 School for Life Compath Co-Founder

1990年生まれ神奈川県出身。幼少期はイギリスで過ごす。慶應義塾大学在学中は“教室から世界を変える“NPO法人Teach For Japan勤務。大学卒業後はリクルートに入社して6年間人事として、地方と海外での大学生向けのインターンプログラムづくりなどに従事。2018年に島根に移住して地域・教育魅力化プラットフォームに参画。“地域みらい留学“事業の立ち上げ。2020年〜 北海道東川町に移住し、School for Life Compathを運営。

デンマーク旅行からはじまった学校づくりの挑戦

共同創業者である遠又氏と安井氏は、同じ大学に通っており学内での活動を通じて知り合うきっかけがあったという。

当時は、特別に近い関係という訳ではなく、お互いのことは知っていながらも一緒にプロジェクトを立ち上げる経験はなかった。

しかし、年に1回ほど互いの近況をシェアして、刺激を受け合うという心地よい関係性が続いていたそうだ。

両名がCompathを創業する最も大きなきっかけとなったのは、2人で訪れたデンマーク旅行でのフォルケホイスコーレとの出会いだった。

フォルケホイスコーレを初めて訪れた2人。

遠又:元々、早紀ちゃん(安井氏の呼称)とは社会人になっても時々お互いの状況とか考えてることをシェアする関係が続いていたんです。学生時代から教育系のNPOに参加していたり卒論でも人生100年時代の教育のあり方といったテーマを扱っていたこともあり、教育系の仕事に関わりたいと思ったことから、株式会社ベネッセホールディングスに新卒で入社しました。

2年ほどしたタイミングで外資系コンサルティング会社のアクセンチュアに転職することとなり、そこで様々な企業の組織改善や働き方改革の提案などをしていました。

安井:私も学生時代からTeach for Japanという教育系NPOに携わっていて、そのまま教育や人材開発の分野で活動したいという想いから、リクルートという会社に新卒入社して、6年間ほど人事畑で新卒採用などを主な業務として行っていました。

遠又:ちょうどお互いに社会人生活をある程度経験してきたタイミングで、早紀ちゃんと話す機会があって「旅行したいね!」という話で盛り上がったんです。

それで、どこに行くか話し合っているときに、お互い教育に興味があるから、教育分野でも有名なデンマークに行ってみないか?という話になったんです。

学生時代から教育に関わる活動や研究に従事し、ファーストキャリアも教育・人材育成の方面へ進んだ2人だからこそ、デンマークでの体験は衝撃的かつエキサイティングだったと語る。

安井:はじめてデンマークを訪れた時の感動は忘れられません。。国自体の雰囲気ももちろん素敵だったのですが、何よりもフォルケホイスコーレという教育施設を知った時の「これだ!」という感覚は、私たちにとって大きなものでした。

遠又:コンサルティング会社で仕事をする中で「もう一度教育に関わりたい」という想いも強くなっていて、フォルケホイスコーレを訪ねて、そこで働いている方や受講している人たちの様子をみて、実際に話す中で「私もこれを作りたい!」と思ったんですよ。

安井:感動したその瞬間から、香と2人で「どうやったらフォルケを日本でも作れるんだろう?」という話をし始めました(笑)

お互い急に起業して学校を作るのは難しいとも思っていたので、香はコンサルティング会社に勤めながら、私は教育系のNPOに転職して勉強しながら、時間を作っては集まってディスカッションして、徐々に事業構想を練るような生活を送っていました。

では、フォルケホイスコーレとは具体的にどのようなもので、デンマークという国でなぜそのような教育機関が生まれることになったのだろうか。

本気の民主主義から生まれた「評価しない」システム

フォルケホイスコーレは、「人生の学校」や「民主主義の学校」などさまざまな表現で呼称される教育機関だ。

老若男女問わず、試験も無く入学することができるオープンな教育機会を提供しており、社会人のためのリカレント教育や、若者のギャップイヤー活用などさまざまな文脈で活用されている。

フォルケホイスコーレとは、北欧独自の教育機関です。
フォルケホイスコーレの特徴は、試験や成績が一切ないこと、民主主義的思考を育てる場であること、知の欲求を満たす場であることです。

https://www.ifas-japan.com/folke/

フォルケホイスコーレが万人に開かれた教育機関として誕生した背景には、デンマークの政治的な歴史の歩みが関係しているという。

現地のフォルケホイスコーレの一つである「ノーフュンスホイスコーレ」。

安井:そもそもの起源は、180年ほど前にデンマークの王政が終わって、国自体が民主化をしていた時代背景にあります。

デンマークは、戦争に負け、国土自体も狭く資源も少ないという状況だったこともあり「自分達の手元にある資源は”人”だよね」という発想になり、改めて教育についてしっかりと考えようという動きがありました

また当時は、教育の対象はほとんどが貴族でした。「民主化」というのに、このまま一部の存在だけが教育を受けられる状況ではダメだと考えられ、より万人を受け入れられる教育機会を作ろうという設立への信念があったのではないかと思います。

実際にフォルケホイスコーレでは、入学試験が無く、受講できる講義のジャンルもアートや経済、料理、宗教など多岐に渡ります。

遠又:異なる見方として、ハルコックというデンマークの著名な思想家が残した「民主主義とは不完全なものである」という言葉にも「民主主義の学校」といわれる、フォルケホイスコーレの起源を感じます。

民主主義から生まれる社会システムは常に不完全であるからこそ常に対話を重ね、各人の得意なことや考えを組み合わせることで、より良いものに変化させていく必要がある。そのためには、対話や他者とコラボレーションするあり方を学ぶ場が必要であり、これがフォルケホイスコーレの設立、継続に繋がっていると考えています。

民主主義の精神を徹底することで、多様な人々が学び、成長する機会を提供しているフォルケホイスコーレだが、その最も顕著な特徴は「評価をしない」という点にある。

Compathで行われているアートの授業風景。

遠又:フォルケホイスコーレの一番の特徴は「評価をしない」というルールを徹底していることだと思います。ここでは、試験も成績も無い。

極端なことをいえば、お金を払って入学して授業に出なくても、何も言われない場所なんです。(笑)

でも、それくらい自由な場所だからこそ、学生もプレッシャーを感じることなく、興味のあることを色々な授業や人との対話から探せる余裕が生まれるし、デンマーク社会にとってなくてはならないものとして扱われているんだと思います。

安井:デンマークで、現地のフォルケホイスコーレを見学していた際とある学生が先生に対して「この授業にあまり興味が持てなくて別の授業に興味があります。この授業にこのまま出るべきでしょうか?」と相談しているところに遭遇しました。この学生に対し、先生は「自分の興味があるものが見つかってよかったね!そっちの授業に行ったほうがいいよ」という返事をしていて。

日本だと、学生側も先生側も頑張って、いまあるものを改善できるように努力することが多いと思うんですが、フォルケホイスコーレでは、自分に合った異なるテーマが見つかったらそれを優先して実践してみる方がいいという空気感があり、個性を尊重しているなぁと。

評価から距離を置いている学び舎だからこそできることだと思います。

講師と学生が一方通行の関係になるのではなく、常にイーブンな関係であるという認識があるからこそ、「ともに学びあい・認め合う」という態度が生まれているとも言えるだろう。

これは、フォルケホイスコーレ以前の義務教育の段階から、民主的な意識や学びの方法論を徹底していることが根底にあると安井氏は話してくれた。

安井:デンマークでは、幼稚園くらいのタイミングから「民主主義」というキーワードを意識するような教育が行われていて、1人で教科書を開いて勉強をするというようなスタイルではなく、常に誰かと協力しながら問題解決をしていくような学びが取り入れられているの、が特徴です。

その中でもフォルケホイスコーレはより民主的な教育機関としてデンマークでも認知されています。高校や大学はデンマークでも試験を受けて入るという形になっていますが、フォルケホイスコーレは入学試験も学科試験も無いですし、デンマークの中でも特別な学びの場所として存在していると思います。

個性とは「あってしまうもの」で「だから素晴らしいもの」

遠又氏と安井氏が、フォルケホイスコーレやデンマークの多様な個性の認め合い方に強く共感したのは、両名の過去の経験が影響を与えている側面もあるという。

遠又:私は、幼少期をロシアのモスクワで過ごしていて、日本とは異なる文化に触れて育ちました。

当然、人種や文化的なバックグラウンドが違う人たちに囲まれていたので、自分のアイデンティティや個性について考える機会が多かったです。

私以外の人たちと根本的にアイデンティティが違うというより、周りの人の私に対する反応や対応によって、私のアイデンティティ自体がポジティブにもネガティブにも変化するという経験をしていました。

安井:私もイギリスに住んでいる期間が長かったのですが、香の言うように私自身というよりも周囲にあるコミュニティやその環境によって、私の持っている特徴や性質をウェルカムとしてくれるのか、そうじゃないのかが別れるなということは感じていました。

だからこそ、「自分に合う場所やコミュニティを見つける」ということに関心があったのだと思います。

私たちはついつい「個性を磨かないと」や「個性的であるにはどうすれば良いのか?」といった、個性=作り出すもの・デザインするものとして語りがちだ。

しかし、遠又氏と安井氏は個性を「全ての人それぞれに最初から存在するもの」として捉えているという。

遠又:デンマークを訪れた際に、「人はデコボコだからくっつくことができる」という話をされたんです。

それぞれが違う存在で、違う考え方を持っているデコボコな関係だからこそ、互いにくっつき合うことができるし、それによって新しいアイデアや考え方を生み出すことができる。

一方で、日本で主流な教育のあり方は「いかに一人ひとりを同じツルツルしたものに磨き上げるか」に主眼が置かれている。結果として、一人ひとりの能力は高いかもしれないけれど、同じ形をしているので、、お互いにくっつきにくいし、新しいアイデアも生まれにくいのかも、と言われて。

個性って作っていくものではなく、生まれた時から生きていく過程も含めて全ての人に存在するものだし、ある意味「全ての人にあってしまうもの」だと思います。

だから、個性を活かす・尊重するのであれば「あるがままの自分を認め・伝えること」と「誰かのあるがままを評価をせず、あるがままに受け取ること」が大事なのかなと。個性は「あってしまうもの」で、それ自体が素晴らしいことだと思うので、互いの個性を認め合い、素晴らしさが発揮しあえる状態になることが理想ですよね。

安井:自分自身を変えていくことも時には大切なことだと思いますが、私たちの幼少期の体験の話にもあったように、自分の個性をポジティブに認め合う環境や人たちと出会えるということもすごく重要だと思っています。

そして、お互いが無理なく生きていける形は、どのようなものなのかを話し合うことができたり、その時間を作れたら、より豊かなコミュニティ・社会を作っていけるのではないか、と思います。

Compathの活動を通じて、個性を認め合い、さらなる豊かさを求めて対話を重ねられる機会を作れるのか、試行錯誤しながら毎日頭をひねって頑張ってます。(笑)

後編では、自身のあるがままの個性を認め、他者と個性を肯定し合うために、Comapthが具体的にどのようなプログラム・学びの体験を提供しているのか、そしてCompathの取り組みから見える個性と社会の共存のためのアプローチとはなんなのかについて取り上げていく。

日本で生まれ、生活している私たちにとって、「民主主義」という言葉は当たり前のもののように思える。

しかし、Compathの2人の話を通じて、私たちは本当に民主主義を生活の中で表現できているのか、徹底できているのかという純粋な問いが投げかけられたような気がする。

海外との比較に終始することが正解だとは思わないが、掲げている姿勢や矜持を自分達のありふれた日常のなかで体現できているのかと考えること、その視点や意識をことあるごとに内省することが、私たちなりの民主主義をより良い当たり前にすることができるきっかけであり、私たちのあるがままの個性を互いに認め合うための条件になってくるのではないだろうか?

田中 滉大 anow編集部 プロデューサー

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