今まさに社会は、市場や生活の中にAIが自然化する過渡期(AIネイチャーリングピリオド)を迎えており、その波は教育現場にも届いている。日本は義務教育の就学率がほぼ100%であり、初等中等教育を通して次世代が学び、育つ。AIが社会インフラとして定着した後に活躍する次世代を育てる教育現場の責任は重大だ。
立命館小学校の教諭で、2019年には世界TOP10の教員にも選ばれた正頭英和先生に話を聞くと、大切なのは「教わったように教えない」ことだという。
PROFILE
正頭 英和 先生
立命館小学校
1983年大阪府生まれ。関西外国語大学外国語学部卒業。関西大学大学院修了(外国語教育学修士)。京都市公立中学校、立命館中学校・高等学校を経て現職。「英語」に加えて「ICT科」の授業も担当。2019年、「教育界のノーベル賞」と呼ばれる「Global Teacher Prize」トップ10に、世界約150ヵ国・約3万人の中から、日本人小学校教員初で選出される。著書に『世界トップティーチャーが教える子どもの未来が変わる英語の教科書』(講談社)。「桃鉄教育版」プロジェクトにエデュテイメントプロデューサーとして参加、現在10,000教室を超える学校が使用している。AI時代・グローバル時代の教育をテーマにした講演も多数。
Global Teacher Prize TOP 10 FINALISTS(左から4番目が正頭先生、出典:Edutainment Education)
小学校の授業でゲームを活用
正頭先生は2016年からマインクラフトを活用した授業を実践している。「Global Teacher Prize」トップ10に選出されたのも、その実績を評価されてのことだ。
ゲームを使うことは、学びの“ハードル”を下げる有効な手段であり、教育のすべてをゲームに委ねることはできないが、導入としては非常に効果的だと正頭先生は続ける。
小中学校でのAI利活用
文部科学省は、初等中等教育段階における生成AIの利活用について、児童生徒の思考力・判断力・表現力を育むための補助的なツールとして位置づけ、2023年7月にガイドラインを示した。授業での活用には慎重な対応が求められ、目的・段階・年齢に応じた適切な使い方が重要としている。
文部科学省は2008年から現在まで4回に渡り「教育振興基本計画」を策定している。これは2006年の教育基本法改正に伴い、基本法の内容に沿った幼児〜高等教育に関する5ヵ年単位での計画であり、国全体の教育方針や目標、指標を策定したものである。その第1期から第4期までを分析してみると、国全体の方針も学力重視から主体的・能動的な学習意欲や問題発見力など個別/多様な能力重視へと変容していっていることがわかる。
文部科学省「教育振興基本計画」関連資料よりanow編集部作成
「教育振興基本計画」とは、教育基本法(平成18年法律第120号)に基づき、政府が策定する教育に関する総合計画である。
anow「教育振興基本計画」の整理~日本教育の総合指針について
教わったように教えない
Society5.0で求められるスキル(出典:Edutainment Education)
子どもと大人のモチベーション維持力の差異(出典:Edutainment Education)
モチベーション維持装置としてのAI
子どもは経験の少なさや脳の発達段階の影響により、大人と比べてモチベーションを維持しづらい傾向にある。これはいつの時代も変わらない特徴だが、現代の子どもたちはさらに複雑な環境に置かれている。SNS・動画・ゲームなど短時間で快感を得られる刺激過多なコンテンツに囲まれていることや、技術や働き方の変化が激しく将来の職業や必要なスキルが見通しにくいことで、モチベーションを生み出すこと、維持することがより難しくなっているのではないだろうか。
そもそも「やってみる」=チャレンジには楽しいという保証はない。ただ今は楽しいことが保証されていないといけない時代。楽しいことが溢れている中で、あえて楽しいかどうか分からないチャレンジに挑む子どもは少ない。正頭先生はそんな子どもたちのモチベーションをどう生み出しているのだろうか。
こうした現象に対して、AI活用に最も期待される役割が「モチベーションの生成・維持」であると正頭先生は述べる。
さらに、「やってみたいことがある」と答えた約2割の子どもたちに共通しているのは、過去に強い感情を伴う体験(喜怒哀楽)を経験していることだ。彼らはその体験を起点に、自分自身のやりたいことを創出しているという。
学力の再定義と体験の重要性
今の子どもたちに求められる学力は「表現力」とそれを支える「思考力」、思考する力を育てる「感受性」だ。感受性を豊かにするためには「体験」が不可欠であり、その体験を自らの行動力で実践するためには感受性が必要だ。
つまり現代の小中学校教育では知識の詰め込みではなく、浅く広く様々な体験を提供することが重要となる。さらに正頭先生は、体験を「調べる」「作る」「試す」に分類しているという。
「価値観を崩すこと」と「アンテナを広げること」
正頭先生の授業は、モチベーション生成・維持やAIスキルを身に付けることだけでなく、子どもたちが体験を通じて「イマジネーション力」「プレゼンテーション力」「コミュニケーション力」を育むことができるよう、精緻に設計されているという。
現代社会では、SNSやオンラインコミュニティの普及により、自分と似た価値観を持つ人々とだけ関わり、自分の趣味嗜好に最適化された情報だけがリコメンドされる環境が一般的になっている。こうした中で今後は、対人よりもAIとの対話の頻度が増していくことが予想される。
まずは校務時間削減のためにAIを活用
授業の内容は、各学校の方針や教員個人の資質・スキルに大きく依存しているのが現実である。特にAIのような先進技術を授業に取り入れるには、一定の知識や運用スキルが求められるため、すべての学校で均質に導入が進むにはまだ時間がかかるだろう。
一方で、校務の効率化を目的としたAIの活用は、すでに多くの学校で実用段階に入りつつある。成績処理、事務連絡、時間割編成など、教員の業務負荷を軽減する分野から徐々に導入が進み、教育現場全体のデジタルトランスフォーメーションを支える基盤としての役割を担い始めている。
2021年1月に文部科学省が発表した「『教員不足』に関する実態調査」によると、全国の公立学校で2,000人以上の教員不足が発生しており、不足数は現在も拡大している。※ 教育環境を維持するためには、教員になりたいという若者を増やすことが喫緊の課題だ。
※文部科学省「『教師不足』に関する実態調査」
教員はかつて安定した職業として人気を集めていた。しかし近年では長時間労働や過重な校務、保護者対応の複雑化に伴う精神的負担の増大、さらには報酬と業務負荷の不均衡といった構造的課題が顕在化し、教職志望者の減少に拍車をかけている。AI活用による校務効率化など教員の働き方改革は、教員不足という社会課題の緩和に向けた重要な一手と言えるだろう。また教員がAIに触れる第一歩を作る大きな機会だとも捉えられる。
現代社会はAIの自然化という過渡期にあり、そのような時代において教育現場が担う役割はこれまで以上に重要性を増している。
今、教育に求められる「学力」はかつてのような知識の蓄積ではなく、「表現力」「思考力」「感受性」へとシフトしつつある。こうした非認知能力の養成には、「体験」が不可欠である。子どもたちが「調べたい」「つくりたい」「試したい」と感じたとき、AIはその好奇心を現実化する“触媒”として機能し得る。AIは、子どもたちの「やってみたい」という意欲を阻害する「知識」や「予算」の壁を低くし、モチベーション維持装置としての役割を果たすことで子どもたちの体験を支援する存在だ。
こうした背景を踏まえると、AIの教育現場への導入は単なる技術的アップデートではなく、子どもたちの自律性・創造性を育む「教育の再定義」に他ならない。私たちは今、AIネイチャーリングピリオドという重要な転換期を迎えており、その中でAIは子どもたちの可能性を最大化する「強力なパートナー」となり得るのである。
原田 真希
anow編集部
エディター/リサーチャー
正頭先生:勉強に重要なのは熱量とモチベーションです。ゲームを活用すると子どもたちの熱量は一気に高まります。当時は英語を教えており、子どもが間違いを避け、黙ってしまう傾向に課題を感じていました。英語学習は本来、間違える→指摘される→改善するというというプロセスを通じて力がつくものですが、通常の授業ではその循環が機能しにくい。マインクラフトを活用しグループワークで建築する、ただし会話は英語のみというルールで授業を行うと、子どもたちが急に英語を喋り出すんです。間違えることへの恐怖心よりも、友達と意思疎通を図り、ゲームを進行させたい気持ちが勝る。それってすごいことだなと思ったのをよく覚えています。